静かな時間を好む人は、
特別な性格をしているわけではないと思います。
気づくと、身近にも意外と多くいて、
ただあまり目立たないだけ。
自分でも、はっきり自覚していないこともあります。
「そういえば、自分もそうかもしれない」
そんなふうに思った瞬間から、
静かな時間の見え方が、少し変わってきました。
にぎやかな場所で、理由もなく疲れてしまう
にぎやかな場所が嫌い、というわけではありません。
楽しい時間もあるし、人と話すことも好きです。
それでも、帰り道になると、
理由のはっきりしない疲れが残ることがあります。
何か嫌なことがあったわけでもないのに、
どっと消耗している感じ。
音の多さや、人の気配、
空気の流れに、知らないうちに気を使っているのかもしれません。
一人の時間が、回復の時間になっている
静かな場所に戻ると、
特別なことをしなくても、少しずつ楽になります。
何かを生産しなくていい。
前向きにならなくてもいい。
ただ、静かに過ごすだけ。
一人の時間は、
自分を整えるための時間になっているように感じます。
それは、休み方のひとつであって、
怠けているわけでも、逃げているわけでもありません。
人と距離をとりたいわけではない
静かな時間を好む人は、
人嫌いだと思われることがあります。
でも実際は、
人との関わりを大切にしている人も多いように思います。
相手の表情や言葉に、よく気づく。
場の空気を、自然と読んでしまう。
だからこそ、
無意識のうちに疲れてしまう場面もあるのかもしれません。
距離をとりたいのではなく、
回復できる時間が必要なだけ。
静かな時間の中で、考えが整理されていく
静かな時間の中では、
考えが少しずつ整理されていきます。
その場ではわからなかった気持ちが、
あとから言葉になることもあります。
にぎやかな場所では見えなかったことが、
静かになってから、ゆっくり浮かんでくる。
考えすぎているのではなく、
考えが追いつくまで、時間が必要なのかもしれません。
それは性格というより、過ごし方の違いかもしれない
静かな時間を好むことは、
性格の問題ではないように思います。
良い・悪いでもなく、
強い・弱いでもなく。
ただ、
どんな時間や空間で回復するかが、
少し違うだけ。
にぎやかな時間が合う人もいれば、
静かな時間が必要な人もいる。
それぞれの過ごし方がある、
それだけのことなのかもしれません。
quiet note は、
そんな違いを、無理に説明しなくてもいい場所でありたいと思っています。
こうした感覚は、
予定のない一日との向き合い方にも、少しずつ表れている気がします。

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